フリーなスペース

世の中のふと思ったことを文章の練習を兼ねて書き連ねていきます

都会と田舎の地域格差はあるのか?

gendai.ismedia.jp

少し前に出されて議論されている話だ

自分としてはここに書いてあることの逆で比較的都会であるところから田舎の国公立に進学したため地方都市でも思ったよりもいろいろあるじゃんというような感想を抱いたのだがここで問題提起されていることはそうではない

簡単に言ってしまえば情報格差ということである

都会にいると世の中にどういったものがあり、それをすぐに使うことができるということである

反対に田舎であると新しいものが入りにくく、またそれに気づくこともないということだ

 

ここでインターネットがあるじゃんと言ってしまうようなことは全く違うのだ

インターネットがあったところでまず大学について調べようともしない

またそこについて親であったりと身近な大人は高校を出たら就職をするという認識であったり、大学においても高校と同じような形でいけたりという考えが多いのではないのだろうか

自分自身そこの感覚というものが言ってしまえば都会の人間でありわからないところであるし、地方国公立といっても地元の人の割合が非常に少ない学校ではあるのでそういった人とあったことがないためにどうにもいえないけれども、体験の多さという意味では間違いなく都会の方が有益であると思う

本屋ですらこの著者が書いてあるような体験の差が生まれているのだ

もしこれを読んでいる皆さんは自転車競技の本がこの世にどれだけあるのか知っているのだろうか

そんなもの競輪だけであって大して世の中にはないという考えの方もいらっしゃるだろう

結局はそういうことなのである

いざ調べてみればヨーロッパではメジャーであり、とても有名な長距離のレースがあり、それに関する本も日本ではいくらか出ている

けれども今まで知らなくても何も困ることはないのである

つまるところ田舎と都会ではこれがとても顕著に表れている

ただ田舎の人が生きるのに必要なことは高校を卒業して仕事に就き、そこでのお見合いで結婚するということであるかもしれない(ここにはとても大きな偏見があるであろうがこういったことがゼロであるということならばこの著者は驚くはずがない)

もちろんこれは幸せなことであろうが、ここでの間に様々な知識であったりを得られるということが都会と田舎では大きな差があるのだ

その一つとして大学進学ということがあることにすぎず、就職に関しても地元に限らず本屋で見たような写真を撮る写真家になりたいという可能性もその写真を見る確率が都会の大きな本屋と田舎で雑誌ばかりを扱う本屋とでは全く違うということだ

また自分が例としてあげていることもあくまでも本屋ということに限って言っており、これ以外にも様々な体験格差が生じていることであろう

 

さてここでこの地域格差という問題を解決するためには果たしてどうするのがいいことなのだろうか

日本の方々がそういったものをすんなりと受け入れることは難しいと思うが、それに関して言ってしまえば僕はこの格差に気づけるような人間だけが都会に来てより自分を様々な体験の身の中に置くべきだと思う

この格差に一度でも気づけてしまえばあとはインターネットがある

もちろん田舎に帰ってからも体験というところにおいては都会というものが上回るがそれがあれば疑似体験もできる

さてその格差に気づくのはあまりに遅すぎては取り返しがつかない

大人になってから様々なことをするのは大いに結構であるが、それでは20歳もしくは社会に出るまで気づくことができない

ましてや社会に出たところでそれが閉鎖的な業界であったり、田舎のみで完結するようなところではやはり気づくことができないだろう

ということで高校一年生の時に一週間ほど東京もしくは大阪などの大都市と言えるところで自由行動をさせるべきだと思う

そして違っていることそしてあるものないものをレポートとして出すことである

その中身はなんだっていい、自分のお気に入りの喫茶店がないことであってもいい

ビルばかりだったということでもいい

そうすることで何が違うのか、何に気づくべきかということに目を向けられるはずだ

高校生になったタイミングでこのようなことをするのは小中学生ではそのようなことを考えられることが少ないということ

また大学という次に繋がるタイミングですることで自分が将来どういったことをしたいのかということを意識できると思う

 

ただしこれは子供に対して意識がけをさせるものである

僕自身この問題は子供たちへの教育ではなく大人たちへの意識改善をさせるべき問題だと思っている

自分の仕事を継げばいいもしくは自分たちと同じ会社に入ればいい、地元で公務員をやるのがいい

そのように考えて子供たちに押しつけている

また女子に対しても女は大学に行くべきでない理系はありえないなどということが言われたりする

そのような考えから不幸な格差が生まれるのである

もちろんこの人たちも自分たちの子供に対して幸せな道に進んでほしいと考えているのであろう

しかし一人の大人が体験できる人生というのはその人の人生だけなのである

悪い言い方をしてしまえば井の中の蛙であったとしても気づけないのだ

ここに問題がある

田舎ではその井戸が大きいもので完結してしまうのであろう

だからこそこうなってしまう

そのためにはいろんな生き方があるということを是非ともその人たちには知ってもらうべきである

そうすることでその後に続く子供たちはそのような格差を多少は受けずに済む

それを知ることになってその大人たちが不幸せになる可能性というのも多少あるのかもしれないが・・・

 

いくつか言ったが結局のところ政府側もしくは学校側から働きかけないと何も改善しない

それによって子供が気づいたところで親がその道を閉ざしてしまうことは非常に簡単だ

そのためには親も一緒に体験してもらう必要がある

またこれに気づくことにより地元よりも都会の方がいいという流れになるのはあるはずだ

そうなったときに地方がどういう考えをするのかというところにとても興味がある

イオンなどの大型ショッピングモールがたくさんできるきっかけであった法律が廃止された出来事から地方創生に力を入れているが結局のところそういったところはほとんど成功していないというのが現状である

もし一カ所で成功したところでそれを都会がマネしてしまえばまた差はあらわれる

唯一無二のものであるとすればそれはすべての地域ができるものではないため一割くらいしか生き残らない

というよりも一割も残ればとんでもない成功例だと思うが

はたして地方創生を掲げているようなところが東京に憧れを持たすようなことをするのか・・・そういうような考えであればないといってしまえるだろう

これを解決することにより、優秀な才能を持つ学生が恵まれた環境に来ることによるメリットが大きいと考えるかそれとも地方にとどまってもらえるシステム作り(つまり現状維持)をするのかどっちであるかは正直なところ明白であると思う