フリーなスペース

世の中のふと思ったことを文章の練習を兼ねて書き連ねていきます

フルメタ2期感想

これは素晴らしかった

 

宗介の成長という観点に重きを置き、それに伴う話がほとんどであった

まずこの話の悩みとしておおきいものは二つ

アーバレストとかなめに対しての感情

アーバレストに関していえばかなめに対する感情というところにも直結してくるけども彼自身の悩みの一つがラムダドライブに対する不信感などもあるため、これら二つが主であると感じた。

 

第一話に関してはほとんど戦いの話であったが、これに関していえばこれまでのミスリルに対してより強力な敵対勢力がいるという話だけなので

第二話ではラムダドライブに関する話と学校での盗撮疑惑の話だが、まず前者はこの作品におけるインフレが進んだことを示すことであり、後者はある意味で一期までの宗助に頼っていることを示す話である

 

これ以上は少しめんどくさくなってしまったが、お互いに依存していることを認識する話やミスリルにただの人形になっていることを心配されるところから今後の人生ということを考えさせられることとなり、そこからかなめについてよりしっかりと考え始める宗介。

しかしそんなところから突然引きはがされることとなり、それによりより深く自分というものや作戦に対する考えが深まっていく中、様々な人から提示される道

中尉からのそのままでは中途半端といったことやガウルンからの昔の殺し屋としての純粋な心、売女からのもはや逃げてしまった方がいいという道、マオからの戦士として生きるのであればの割り切りをみせるかどうか

様々な人間からいろんな道を提示され、いろんな考え方を提示される中、最終話できっちりと自分の言葉として自分の生きたい生き方を示せたという話は非常にきれいであったと感じる

確固たる意志を持ち、自分の道を示したことはおそらく作中ではいくつかあるが、ここまで強く自分を持ち始めたことは当初から考えればすごく成長したことが感じられた。

また彼自身のこれまでの生き方の肯定というのも行ってくれており、テッサの信じるべきといったことや少佐のでは好きにやれという言葉がそのすべてを示していると思う

これはある意味で従順である中にも彼を見ていたことの印であるのかなと感じた

その見ていた印というのは明確には示されていないが、少佐などはふもっふ等でも彼に対する信頼や生き方をみているのだなと感じるシーンが見られた

 

ラムダドライブに関することはそれらを解決したら解決しちゃったし、結局不安定な兵器という位置づけは変わらないようだが、自身が守るものを見定めたという点において解決したと考えるとあんま違ったかもしれない

 

総評として彼自身の成長物語として見ると僕は一期よりもかなり完成度の高い作品であると感じる

明確にストーリーとして伝えたい葛藤などが見えており、それに対する流れやアンサーが見られたからだ

 

追記

テッサちゃんがまじで当て馬すぎて悲しみを覚える

中尉が着任したときの宗介との会話などはなぜ私を見てくれないのかというかなり個人的な意見であり、そこからのアンサーに対してかなり表面のところをなぞって喜んでいた

まぁその意見の中には隊員も見てほしいというのもあったが

彼女自身がスタートラインが遅れているというのを自覚しており、宗介相手のためこれはかなり進歩と言えるかもしれないが

でも喜んでてかわいかった

 

フルメタルパニック 感想

見たいみたいと思っていたのでついに

 

全体の感想としては面白かったのとテッサがかわいかった

 

最初の方は潜入してのロボットという作品から、後半になるとほとんどミリタリーもの

しかし後半の方が作者の作りたい方針に近いらしいが、原作にはないみたい

こう表現するとあれだが、後半というよりも終盤がほぼエヴァのような頂上能力により船をのっとりというもので正直微妙だった

こうした話をするのであれば、もう少しそういったことに対してしっかりとやり取りをのせてからやるべきであると思うが

話がごちゃごちゃしすぎてて構成がちょっとというのがある

なぜエヴァはよかったのかについては明確に伝えたいメッセージ性があるからであって、これはそうしたものよりも相良がどのように変化していくのかに主眼を置きたいと思っているのでかなり違うような気がした

 

しかしながらキャラの成長という観点においては悪くなかったと思うけどもちょっと雑感が否めない

なぜ仲間を失ったことでそこまで考えるようになるのか

そういうキャラではなくない?っていうのが本音

そこはオリジナルらしいからしょうがないけどそれまでに仲間を失ってここにいるというのがあるのに突然ナイーブになったのはなぜなのか

殺すことに対して葛藤を持っていたり、トラウマや恐怖があるのならわかるが、相良はそれに対して基本的にはないように感じる

そうした意味でいうならおそらく千鳥たちとの学校生活で日常が大切になり、変化していったという考えはできるかもしれないが

例えばジャックの時などは命令違反をして、千鳥を取り返すという行動があり、そうしたものの重なりで人が大切に感じるようになったのか

しかしながらそれについては彼女が特別であるという表現がなされているところからまたちょっと違うように感じる

 

評価できる点としてはシーンごとの表現の良さだ

こうした一連の流れをみずに短編一つ一つで考えると映像自体の迫力とそれぞれのキャラの作り方は優秀に見える

個人的にはテッサが艦長としての顔とヒロインとしての顔を両立しているようなシーンが多く見受けられ、そういったところは好感度が高い

またギャグとシリアスを明確に分けていた点は僕の好みに近かった

この点はナデシコと大きく違っていたかも

ああいったものが好きか嫌いかどちらがいいかは人によって分かれそう

 

こうして考えると作品の方向性がかなり迷子だったように感じる

どれをとっても中途半端感が否めない

原作を読んでみての評価をするべきと感じる

保健室のセンセーとゴスロリの校医の感想

感想とは言えども1年以上前にやっていた続きからプレイしたのでだいぶ感想は薄いが

こうして少しでも言語化していかないとすぐ忘れてしまうので

 

元々この作品との出会いは完全にイラストとキャラデザ、つまりただのパケ買いであった

そうした買い方の中でも特に好きだったため、初めて手をしてからパソコンにインストールするまでの時間は非常に速かったように思える

しかしながら始めて少ししてすぐに続編だということがわかり、これの前編であるシャボン玉中毒の助手を購入した。

プレイしてそちらはストーリーとしてすごくよかった気がする

気がするというのは本当にほとんど忘れてしまっているから

こうしたことが多いからこのようにブログにして少しでも記憶に残そうと必死になっているのだが

その後こちらを遊んだのだが、ストーリーが最初はイチャイチャが多めであり、最初のキャラからすると多少の崩壊を持っていたためなえてしまいそこから手を付けていなかった

しかしながらついに修論も終え、人生において最も暇な時間が出来た為、終わらせようと思いプレイした

 

その結果としてはなぜもう少しやらなかったのかという後悔

やめてしまったところからのクライマックスまではすごく面白かった

まず、アイヌにおける神に対する考え方というのはとても空想的見えそうながらも生きていくすべというのが身についているのだなと

基本的に宗教や神と言ったものは私自身もマロウド先生と同じスタンスつまりは道徳心がベースと考えているが、これが必要なのは国家のような大きなものを持っている必要があり、それに対しアイヌのような小さなたくさんの民族がある場合、あまりそうしたものが必要なく、それよりも生きるすべを考える方が優先なのだなと

なおかつ村によって一部の考え方が違うというのは非常に面白いところで解釈の仕方によりけりというのは基本的に喧嘩の要因になりえるが、これも小民族の場合には必要のないことというのは面白いことだなと

そのため民族を統一するための基盤となる考え、つまり宗教や歴史は必要がないというところから口伝で十分であるというのはとても面白いなと思った。

自分自身が人口の規模に応じてそこまで考え方が変わるというのは全くもっておもってもみなかったことなのでこうした考え方はもっておきたいと思う

 

敵役にフォーカスを当てると島梟くんに関してはまさかのアイヌではなかったんかいという

でも確かにああいった経緯なら理解はできるかな

とはいえ一瞬すぎてちょっとかわいそうではあったけど

そこまで経緯を掘れるようなキャラでもないししゃーなしか

 

恋愛という観点では利用からの本当に落ちるってやつだけどかなり普通に落ちてるからまぁ

でもここの描写がもう少し僕が楽しめたらしっかりやってたのかもな

 

せっかくだしもう一回やり直してみたさあるけどシャボン玉からやること考えると他のエロゲ―終わらしたいなっていうのがあるので

とりまクローバーデイズがあとちょいだったのでそれを終わらす

残りはあかね色、素晴らしき日々、まいてつlastrun、つり乙2、星空のメモリアなど

多すぎる......

あおかなext1の感想

ついに終わったので

あおかな自体を完走してから、非常に感動してその続きを見たいと買ったext1

ましろルートであることも理解しながら買ったためわかってはいたけど感想としては

 

まじで恋愛

元々ましろルートはスポコンよりも恋に振っているのは理解してたし、あのエンドからガッツリってのは想像してなかったからいいんだけど、恋に悩む乙女を描くというよくある作品ではあった

うん

でもそういう意味ではすごくよかったと思う。

これまでのあおかなって結構学生の部活動という観点に重きを置いてるし、ましろルートも一応その部活内での熱の差などを書いてるところはあったけど、こうした学生としての等身大の悩みや自信がないところに対していろんな人の力を借りつつも相手のために頑張るというのはとてもラブコメらしく、客が求めているものをしっかりと提供しているなって思った

 

でも僕はおそらくラブコメではなく、重い話や感動を求めてしまっていたからなんとも言えない感でおわってしまったなっていう

 

でもこの作品はそういうものなので僕が悪い

 

 

 

追記

これ書いた後にextra2のことちょっと見たけどFCの試合あるしなかなか熱い話多そうですごく期待してしまう

みさきルートは結局よかったしな

高いけど買うか

シードフリーダムの感想

やっと見に行けたシードフリーダム
ストーリーを自分で振り返るために少し書く

最初はキラたちが現在はいろんな紛争地域における停戦活動をしてるところから

その後、国際指名手配されている大佐を追うために皆で話していたが、ファンデーションとかいう国がその情報を持っているが、その国はユーラシアという大きな連合国から独立しており、その影響で独立運動が盛んになってしまったことからユーラシアと強い敵対関係になることが影響としては考えられる。

そのため、どうしてもそこと盟約を結ぶことを考えている中でキラとラクスは話していた
今思うとここですれ違っている表現があったかもだけど忘れてしまった......

そこからファウンデーションに行き、実際に話に行くのだが、そこでラクスとタオが握手をした時に精神接続?みたいなことをして、少しばかり話していた
そこでキラが少し違和感を感じるのだが、そこではあまり問題なく話が続いていく

そのあとは盟約を結び、ドロドロシーンが開始

いろんなキャラ同士がお互いにちょっかいをかけあって愛にもしくはその人間関係に様々な疑問や葛藤を描いている

その後、ブルーコスモス残党制圧作戦が開始

様々な作戦が展開される中、ファウンデーションおよびブラックナイト側の策略によりコンパスははめられて、キラも暴走をしてしまう

その結果、他国に対して攻撃する名目を作ってしまい、キラおよびコンパスのほとんどのメンバーは脱出、ラクスのみファウンデーションとともに宇宙に逃げ出すことに

ここからキラは裏切られたと思い、すぐにもういいやってなるが、アスランにぼこぼこにされることにより復活

ミレニアムを奪い、カガリの島にあった研究機体を持ち出すことで宇宙へラクス奪還計画を開始

そこからはほぼ同窓会とギャグの開始のイメージだったなぁ
ザフト内のごたごたはほぼザフト内で完結したし

それぞれ戦いたい相手と戦ってぶったおしてた記憶

なので最後はおおむね割愛

 

 

 

とりあえず記憶のあるうちにいろいろ書いたけどまじで恋愛劇だったな

タオ君なんかは一応ルートにのっとっていったら絶対落ちるだろみたいな意思だったけど落ちないことにイライラするタイプのエリート層にありそうな人間像

というかどれもコーディネーターってエリート選民思想強めなんだよな

アグネスちゃんなんてそれの究極系だし

あの子が幸せになりそうな図がむずいわ

正直なによりもなぜキラとラクスがすれ違いをしているのかが結構謎ではあった

お互いに言葉を交わさないために思い込みや他人からの言葉に流されているのだろうというのはあるんだけど、それにしても二人が言葉を交わすシーンが0過ぎる

キラがすれ違った原因はラクスとタオが近かったことと戦っても平和にならないことにより自信がなくなり、幸せにするということを考えたら近づくな的なことを言っていたタオの言葉

ラクスがすれ違った原因はアグネスに迫られていたキラの姿とタオからの言葉による悩み

これ考えるとラクスはいうほどすれちがってなかったんだろうなとは思ったわ

それどころか一切悩んでないかも

基本的にあの接触による洗脳が大きいところになってそうだし

そう考えるとすれ違って互いに悩んでるようにみえただけで実際はそこの愛に勝てない相手がちょっかい出してただけだな

 

敵側は何かの主義や主張があり、そこにメッセージ性があるかと思いきやあんまないのがこの作品のかなしいところかも

ブラックナイトたちはイングリッド、タオ以外はガチでかませでしかないし

彼らがみんなに対して言いたかった主義とはなんだったんだ

言ってるとこ議長の焼き増しでしかなかった気がする

 

ナデシコの映画を見たときもそうだけどこういった昔のキャラをいっぱい集合させて話をつくると前の敵も味方になってるせいで味方サイド書きがちで敵さんを書きにくいんだろうな

そのせいでタオくんやアウラがただのわがままな独裁者としか描かれてない気がする

彼らの理想論って自分たちが上に立ってみんなを遺伝子的に正しい方向に導きたいという行動になりたった上でのはなしでしかなく、どういう風に人々を変えたいとかのその先の未来が薄いからかなんなのか

もしくはディスティニープランとかいう事前にあったカリスマ性のある議長の作戦に乗っかってるだけだから薄く感じるのかもしれない(シードみたの昔すぎてカリスマ性あるタイプだったかすら覚えてないけど)

 

この作品はみてて面白かったし、いろんなキャラの現在や新しい機体、戦闘が見れたのでよかったけどストーリーはそれを演出するための道具でしかなかったかもな
ファウンデーションに関してもっといろいろあったり敵の仲での葛藤が見れたりしたら面白かったかもしれないけど

葛藤あったのイングリッドちゃんだけだし彼女はなぜか自己完結してしまったし

結構くそかも

 

 

追記

別の人の感想を色々覗いてカテゴリーや枠などに当てはめるところから自由になっているところが伝えたい側面の一つとみてなるほどと

確かにキラたちには葛藤や悩みから様々な過程を得て自由な愛を主張しているからそれはあるかも

ただ戦いをするにあたりもっと崇高な理由を求めてしまっている自分がいたのでこういう感想にはなったな

あと毎度思うけどまじで思ったことをそのまま書くから文章の構成がめちゃくちゃだw

都会と田舎の地域格差はあるのか?

gendai.ismedia.jp

少し前に出されて議論されている話だ

自分としてはここに書いてあることの逆で比較的都会であるところから田舎の国公立に進学したため地方都市でも思ったよりもいろいろあるじゃんというような感想を抱いたのだがここで問題提起されていることはそうではない

簡単に言ってしまえば情報格差ということである

都会にいると世の中にどういったものがあり、それをすぐに使うことができるということである

反対に田舎であると新しいものが入りにくく、またそれに気づくこともないということだ

 

ここでインターネットがあるじゃんと言ってしまうようなことは全く違うのだ

インターネットがあったところでまず大学について調べようともしない

またそこについて親であったりと身近な大人は高校を出たら就職をするという認識であったり、大学においても高校と同じような形でいけたりという考えが多いのではないのだろうか

自分自身そこの感覚というものが言ってしまえば都会の人間でありわからないところであるし、地方国公立といっても地元の人の割合が非常に少ない学校ではあるのでそういった人とあったことがないためにどうにもいえないけれども、体験の多さという意味では間違いなく都会の方が有益であると思う

本屋ですらこの著者が書いてあるような体験の差が生まれているのだ

もしこれを読んでいる皆さんは自転車競技の本がこの世にどれだけあるのか知っているのだろうか

そんなもの競輪だけであって大して世の中にはないという考えの方もいらっしゃるだろう

結局はそういうことなのである

いざ調べてみればヨーロッパではメジャーであり、とても有名な長距離のレースがあり、それに関する本も日本ではいくらか出ている

けれども今まで知らなくても何も困ることはないのである

つまるところ田舎と都会ではこれがとても顕著に表れている

ただ田舎の人が生きるのに必要なことは高校を卒業して仕事に就き、そこでのお見合いで結婚するということであるかもしれない(ここにはとても大きな偏見があるであろうがこういったことがゼロであるということならばこの著者は驚くはずがない)

もちろんこれは幸せなことであろうが、ここでの間に様々な知識であったりを得られるということが都会と田舎では大きな差があるのだ

その一つとして大学進学ということがあることにすぎず、就職に関しても地元に限らず本屋で見たような写真を撮る写真家になりたいという可能性もその写真を見る確率が都会の大きな本屋と田舎で雑誌ばかりを扱う本屋とでは全く違うということだ

また自分が例としてあげていることもあくまでも本屋ということに限って言っており、これ以外にも様々な体験格差が生じていることであろう

 

さてここでこの地域格差という問題を解決するためには果たしてどうするのがいいことなのだろうか

日本の方々がそういったものをすんなりと受け入れることは難しいと思うが、それに関して言ってしまえば僕はこの格差に気づけるような人間だけが都会に来てより自分を様々な体験の身の中に置くべきだと思う

この格差に一度でも気づけてしまえばあとはインターネットがある

もちろん田舎に帰ってからも体験というところにおいては都会というものが上回るがそれがあれば疑似体験もできる

さてその格差に気づくのはあまりに遅すぎては取り返しがつかない

大人になってから様々なことをするのは大いに結構であるが、それでは20歳もしくは社会に出るまで気づくことができない

ましてや社会に出たところでそれが閉鎖的な業界であったり、田舎のみで完結するようなところではやはり気づくことができないだろう

ということで高校一年生の時に一週間ほど東京もしくは大阪などの大都市と言えるところで自由行動をさせるべきだと思う

そして違っていることそしてあるものないものをレポートとして出すことである

その中身はなんだっていい、自分のお気に入りの喫茶店がないことであってもいい

ビルばかりだったということでもいい

そうすることで何が違うのか、何に気づくべきかということに目を向けられるはずだ

高校生になったタイミングでこのようなことをするのは小中学生ではそのようなことを考えられることが少ないということ

また大学という次に繋がるタイミングですることで自分が将来どういったことをしたいのかということを意識できると思う

 

ただしこれは子供に対して意識がけをさせるものである

僕自身この問題は子供たちへの教育ではなく大人たちへの意識改善をさせるべき問題だと思っている

自分の仕事を継げばいいもしくは自分たちと同じ会社に入ればいい、地元で公務員をやるのがいい

そのように考えて子供たちに押しつけている

また女子に対しても女は大学に行くべきでない理系はありえないなどということが言われたりする

そのような考えから不幸な格差が生まれるのである

もちろんこの人たちも自分たちの子供に対して幸せな道に進んでほしいと考えているのであろう

しかし一人の大人が体験できる人生というのはその人の人生だけなのである

悪い言い方をしてしまえば井の中の蛙であったとしても気づけないのだ

ここに問題がある

田舎ではその井戸が大きいもので完結してしまうのであろう

だからこそこうなってしまう

そのためにはいろんな生き方があるということを是非ともその人たちには知ってもらうべきである

そうすることでその後に続く子供たちはそのような格差を多少は受けずに済む

それを知ることになってその大人たちが不幸せになる可能性というのも多少あるのかもしれないが・・・

 

いくつか言ったが結局のところ政府側もしくは学校側から働きかけないと何も改善しない

それによって子供が気づいたところで親がその道を閉ざしてしまうことは非常に簡単だ

そのためには親も一緒に体験してもらう必要がある

またこれに気づくことにより地元よりも都会の方がいいという流れになるのはあるはずだ

そうなったときに地方がどういう考えをするのかというところにとても興味がある

イオンなどの大型ショッピングモールがたくさんできるきっかけであった法律が廃止された出来事から地方創生に力を入れているが結局のところそういったところはほとんど成功していないというのが現状である

もし一カ所で成功したところでそれを都会がマネしてしまえばまた差はあらわれる

唯一無二のものであるとすればそれはすべての地域ができるものではないため一割くらいしか生き残らない

というよりも一割も残ればとんでもない成功例だと思うが

はたして地方創生を掲げているようなところが東京に憧れを持たすようなことをするのか・・・そういうような考えであればないといってしまえるだろう

これを解決することにより、優秀な才能を持つ学生が恵まれた環境に来ることによるメリットが大きいと考えるかそれとも地方にとどまってもらえるシステム作り(つまり現状維持)をするのかどっちであるかは正直なところ明白であると思う

 

内輪なスポーツ協会は日本の企業

最近相撲・レスリングとスポーツ協会の不祥事が相次いでいる

不祥事というよりも告発だが

私の好きなマイナースポーツでも協会での不祥事というのはやはりあり、それを問題と思っていないのであっさりどういったことがあったかというものを公開している

マイナースポーツゆえにニュースに取り上げられることもないのだが、日本のスポーツ協会というのはあまりにもこのようなことが多いと思う

ただしこれはスポーツに限ったことではない

企業だってサービス残業などを内々で問題を処理している

 

日本の団体はこういうような傾向があるのかと思う

つまり問題が起こったとしても極力自分たちの中でなあなあにして外部に知らせず波風を立てないというものだ

またそれにより自分に不利益があろうともその場所を守ろうもしくは周りも我慢しているからという意識が強いためにこのような状態になってしまうのではないだろうか

 

ただし最近の暴露の流れとは上の状態に反するものであると言える

なぜ暴露になっていくのか

それを考えたとき最も大きいところは情報の流れというところになってくると思う

少し前は主な情報源はテレビラジオ新聞となる

これらは有識者などが主に情報を発信また一般人の意見などは送られたものから企業により選別されて出ている

これによる問題というのは主に情報の発信において検閲が入ることである

有識者の主張というのはある程度方向性が決まっているものであり、呼ぶ人によりその番組がどういうことを明確に伝えたいのかが分かりやすくなる

また一般人からの意見にしても公開するしないは受け取った番組側が選ぶことが出来る

つまるところ普通の人が今の僕のように自由に色々と書いて誰かに見てもらうということは非常に難しかったのである

そうなるとああいったマスメディアの経営としては基本的に企業からお金を頂いて広告とともに番組を流すことになる

その企業に都合の悪いことは流すことはできない

逆に企業に都合の良いこともしくは世論の操作などはお金さえあれば流行っているように見せることが非常に簡単になってくるのである

これがインターネットの流行により一般人がブログなどで個人の意見を主張できるようになった

また匿名により様々な意見が掲示板などに書かれるようになった

これらにより実際の世論というのがどういったものなのか、そういうことが明確にわかるようになったのだ

また世の中の意見、考え方というものも共有されるようになった

そのため相撲のような同じ釜の飯を食べるような非日常的な環境にある人は今まで気付けなかった異常さ、もしくは気付いていたけど言い出せなかったというものがインターネットにより改善されたのではないだろうか

 

今の世論としては不正は良くないという方向にある

昔ももちろん心の中であっただろうが、身近なものでは騒がれにくかった

相当な数の不倫騒動に関しては半分どうでもいいしちょっと過剰ではあると思うが

神戸製鋼の問題もそうであるし、JRの問題もそうである

その流れがありやはり不満を抱いていた人が相撲業界で立ち上がったのだ

そしてレスリングと続いた

 

ただしこのまま続くかと言われるとどうだろうという意見にはなる

というのも今回の問題は人気スポーツのトップ選手が関わっているものだ

しかし実際トップ選手を冷遇するような環境は基本的にはない

普通は運営側に優遇されているだろう

となればいくら環境が異常であろうともそこに不満がなければ告発などされない

下位の選手がトップ選手がおかしいと指摘するならばまだあるだろうが下位の選手が運営がおかしいと声を上げてもおそらく世間は聞かないであろう

インターネットで少し騒がれればいい方だろう

少し騒がれておしまいだが

 

企業というものは一般人のより身近にあるものであり、スポーツというくくりにしてしまうのであればほぼ全国民が参加しているスポーツになってくる

そのようなものに対して不正を働いているとなれば今の世論では許されることはないだろう

本来は世論関係なく許されるべきではないのだがそこは家族のような関係などと洗脳されているので仕方ないし、新卒至上であると言われている今の環境で転職しようとはなかなか思わないだろう

 

不正を働く団体、これがなくなる一番の道は何になるだろうか

単純に全個人の意識の改善しかないだろう

その意識の改善にはやはり周りの意見というものが関わってくる

 その周りには家族友達もあるだろうが人が本音として思っているところ、そういったところは面と向かっては非常にしゃべるづらいと思う

となれば関係もない他人からの意見というの有用になってくる

明確な事柄に対する解決というものはインターネットでは非常に見つけにくいが共感というものは簡単に見つかる

なぜなら明確な事柄というものになれば全く同じものというのはなかなかないが、ただ漠然とした上司がうざいなどの意見はそれで検索して同じような記事を何個も見ることが出来るからだ

そうすることにより自分の中で何人もの他人があなたが正しいと言っており、それに対する批判意見は目に入らないからだ

これは前の記事で少し書いた右翼左翼のことにもあたる

同じような意見ばかり見るからそれが正しいと思い込みやすいのだ

 

つまり不正を肯定する記事の中に批判的なものをかなり混ぜておく

そうした記事を乱立させることにより不正に対する意見を見るものに対して意識の改善をはかることだ

ただしこれには文章力と絶対的なアクセス数が必要なので現実的ではないが

大型掲示板で批判的な板にスレ立てとともにそういった文章のコピペを入れるシステムを作るのがまだ現実的ではあるがこれもやはりスルーされやすくそのような場所は団体は覗きにくい

またこれは告発者を増やす方法というだけであり、そもそも内輪の中で肯定されている人間はこのようなものを見てもすぐに団体内で肯定されるため根本的な解決には繋がらないだろう

 

基本的に問題を提起したときに解決策は出すようにはするのだが今回はダメだった

現実となると個人で出来る範囲ではなく本当に行政に一斉検査などというような面白みのないものになるので

 

 

 

 

 

後書き

そもそもの問題法律上の不正である善である悪であるというようなものは特定の人々が勝手に決めたものである

科学的な根拠で体罰はダメとしても科学でなにもかもすべてを証明できない以上本当にダメかも分からないのである

感情を作りだすことも出来ないのに

もしかするとその人においては冷遇されることにより改善したいという思いが原動力となっている可能性もある

そうなった場合本当にその人のスポーツに対する実力として悪いものであるのだろうか

 

こんなものはもちろん詭弁である

がそういった考え方をしても面白いのではないだろうか

それがこのブログです