フリーなスペース

世の中のふと思ったことを文章の練習を兼ねて書き連ねていきます

内輪なスポーツ協会は日本の企業

最近相撲・レスリングとスポーツ協会の不祥事が相次いでいる

不祥事というよりも告発だが

私の好きなマイナースポーツでも協会での不祥事というのはやはりあり、それを問題と思っていないのであっさりどういったことがあったかというものを公開している

マイナースポーツゆえにニュースに取り上げられることもないのだが、日本のスポーツ協会というのはあまりにもこのようなことが多いと思う

ただしこれはスポーツに限ったことではない

企業だってサービス残業などを内々で問題を処理している

 

日本の団体はこういうような傾向があるのかと思う

つまり問題が起こったとしても極力自分たちの中でなあなあにして外部に知らせず波風を立てないというものだ

またそれにより自分に不利益があろうともその場所を守ろうもしくは周りも我慢しているからという意識が強いためにこのような状態になってしまうのではないだろうか

 

ただし最近の暴露の流れとは上の状態に反するものであると言える

なぜ暴露になっていくのか

それを考えたとき最も大きいところは情報の流れというところになってくると思う

少し前は主な情報源はテレビラジオ新聞となる

これらは有識者などが主に情報を発信また一般人の意見などは送られたものから企業により選別されて出ている

これによる問題というのは主に情報の発信において検閲が入ることである

有識者の主張というのはある程度方向性が決まっているものであり、呼ぶ人によりその番組がどういうことを明確に伝えたいのかが分かりやすくなる

また一般人からの意見にしても公開するしないは受け取った番組側が選ぶことが出来る

つまるところ普通の人が今の僕のように自由に色々と書いて誰かに見てもらうということは非常に難しかったのである

そうなるとああいったマスメディアの経営としては基本的に企業からお金を頂いて広告とともに番組を流すことになる

その企業に都合の悪いことは流すことはできない

逆に企業に都合の良いこともしくは世論の操作などはお金さえあれば流行っているように見せることが非常に簡単になってくるのである

これがインターネットの流行により一般人がブログなどで個人の意見を主張できるようになった

また匿名により様々な意見が掲示板などに書かれるようになった

これらにより実際の世論というのがどういったものなのか、そういうことが明確にわかるようになったのだ

また世の中の意見、考え方というものも共有されるようになった

そのため相撲のような同じ釜の飯を食べるような非日常的な環境にある人は今まで気付けなかった異常さ、もしくは気付いていたけど言い出せなかったというものがインターネットにより改善されたのではないだろうか

 

今の世論としては不正は良くないという方向にある

昔ももちろん心の中であっただろうが、身近なものでは騒がれにくかった

相当な数の不倫騒動に関しては半分どうでもいいしちょっと過剰ではあると思うが

神戸製鋼の問題もそうであるし、JRの問題もそうである

その流れがありやはり不満を抱いていた人が相撲業界で立ち上がったのだ

そしてレスリングと続いた

 

ただしこのまま続くかと言われるとどうだろうという意見にはなる

というのも今回の問題は人気スポーツのトップ選手が関わっているものだ

しかし実際トップ選手を冷遇するような環境は基本的にはない

普通は運営側に優遇されているだろう

となればいくら環境が異常であろうともそこに不満がなければ告発などされない

下位の選手がトップ選手がおかしいと指摘するならばまだあるだろうが下位の選手が運営がおかしいと声を上げてもおそらく世間は聞かないであろう

インターネットで少し騒がれればいい方だろう

少し騒がれておしまいだが

 

企業というものは一般人のより身近にあるものであり、スポーツというくくりにしてしまうのであればほぼ全国民が参加しているスポーツになってくる

そのようなものに対して不正を働いているとなれば今の世論では許されることはないだろう

本来は世論関係なく許されるべきではないのだがそこは家族のような関係などと洗脳されているので仕方ないし、新卒至上であると言われている今の環境で転職しようとはなかなか思わないだろう

 

不正を働く団体、これがなくなる一番の道は何になるだろうか

単純に全個人の意識の改善しかないだろう

その意識の改善にはやはり周りの意見というものが関わってくる

 その周りには家族友達もあるだろうが人が本音として思っているところ、そういったところは面と向かっては非常にしゃべるづらいと思う

となれば関係もない他人からの意見というの有用になってくる

明確な事柄に対する解決というものはインターネットでは非常に見つけにくいが共感というものは簡単に見つかる

なぜなら明確な事柄というものになれば全く同じものというのはなかなかないが、ただ漠然とした上司がうざいなどの意見はそれで検索して同じような記事を何個も見ることが出来るからだ

そうすることにより自分の中で何人もの他人があなたが正しいと言っており、それに対する批判意見は目に入らないからだ

これは前の記事で少し書いた右翼左翼のことにもあたる

同じような意見ばかり見るからそれが正しいと思い込みやすいのだ

 

つまり不正を肯定する記事の中に批判的なものをかなり混ぜておく

そうした記事を乱立させることにより不正に対する意見を見るものに対して意識の改善をはかることだ

ただしこれには文章力と絶対的なアクセス数が必要なので現実的ではないが

大型掲示板で批判的な板にスレ立てとともにそういった文章のコピペを入れるシステムを作るのがまだ現実的ではあるがこれもやはりスルーされやすくそのような場所は団体は覗きにくい

またこれは告発者を増やす方法というだけであり、そもそも内輪の中で肯定されている人間はこのようなものを見てもすぐに団体内で肯定されるため根本的な解決には繋がらないだろう

 

基本的に問題を提起したときに解決策は出すようにはするのだが今回はダメだった

現実となると個人で出来る範囲ではなく本当に行政に一斉検査などというような面白みのないものになるので

 

 

 

 

 

後書き

そもそもの問題法律上の不正である善である悪であるというようなものは特定の人々が勝手に決めたものである

科学的な根拠で体罰はダメとしても科学でなにもかもすべてを証明できない以上本当にダメかも分からないのである

感情を作りだすことも出来ないのに

もしかするとその人においては冷遇されることにより改善したいという思いが原動力となっている可能性もある

そうなった場合本当にその人のスポーツに対する実力として悪いものであるのだろうか

 

こんなものはもちろん詭弁である

がそういった考え方をしても面白いのではないだろうか

それがこのブログです